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古代日本の三勢力

 古代の日本には三つの勢力があったと思われます。第一の勢力はこの日本の地に古くから居て、縄文の文化に融合した安(阿)曇に代表される海人族と言われる人々です。「魏略」に

     “聞其旧語 自謂太伯之後
「其の旧話を聞くに、自らを太伯の後と謂う」とあるように、太伯は紀元前十一、二世紀の人物でその末裔となれば、日本の地で何百年もかけて縄文の文化と融合していったと思われます。倭人と呼ばれる人々で魏志東夷伝倭人条にいう奴国に代表される彌奴國、華奴蘇奴國、鬼奴国、烏奴国など奴の付く国々を形成していたのではないでしょうか。

 

 また第二の勢力として紀元前三世紀頃の人物で、秦の始皇帝の命を受け三千人の若い男女や技術者を率いて日本にやってきた人々で、卑弥呼の時代邪馬(日木)族の国々を形成していたと思われます。この時代には最新の弥生文化を持つ邪馬(日木)族からは主に男王を、古い縄文の文化を持つ海人族からは主に女王を出し、邪馬臺国というゆるやかな連合国家を形成していたのではないでしょうか。

 

 次に第三の勢力として現天皇につながるであろうと思われる、ニニギ命から始まる勢力です。古事記や日本書紀には初代神武天皇から続くと書いてありますが、私には信じることができず、記紀にはいろいろな事をつなぎ合わせ続いているようにつくられた物と思われます。第三の勢力とはどんな勢力であるかというと、ニニギという名前から漢字で日日木と書くこともでき、第二の勢力とは同族ではあるけれどこの日本にやって来たのは随分新しく秦氏などの一族だったのではないでしょうか。桓武天皇が京都に平安京を開いた時、都を守るために鬼門と裏鬼門を設けていますが、それぞれ鬼門には第二の勢力である日木族の日吉大社を、また裏鬼門には第三の勢力である石清水八幡宮を設置していて、広い意味での日木族で都を守ろうとしたように思われます。桓武天皇の即位の衣装にも胸元に太陽と月の紋が有り、太陽には八咫烏が、月にはひきがえるが描かれています。ひきがえるは日木族を八咫烏は賀茂氏や八幡を象徴していると思われます。

 第一の勢力で安(阿)曇に代表される海人族は縄文文化を持ち、金印を下賜された委奴国から卑弥呼の邪馬臺国、阿毎多利思北孤の俀国に続く一族は、倭国を形成していた時は主要な地位にいましたが、蝦夷という名で征夷大将軍から東へ東へと追われることになったと考えられます。

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