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後漢書の極南界の意味するものは?

 後漢書に

建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自称大夫倭国之極南界也光武賜以印

綬とあり、極南界を奴国は倭国の南端にあると解釈する説がありますが、それでは光武帝から金印を下賜される理由が分かりません。極南界を九州の南の太平洋を極めていて、その情報を光武帝に知らせたと考えれば、金印を下賜される理由が分かると思います。

 

 中南米のエクアドルや南太平洋のバヌアツ共和国から、日本の縄文土器に似たものが発見されています。またコスタリカの海岸には、熊本県球磨郡太良木町で発見された石球に似たものがあります。私は縄文時代に日本から縄文土器を携えて、石球を使い海流に乗る航海術を縄文人たちは持っていたと思います。もし中南米、南太平洋を海流に乗って何年も、何十年もかけて航海をするならば、浦島太郎を彷彿とさせると思います。これらの縄文の航海術を引き継いでいたのが阿曇族に代表される倭人達で、太平洋の状況を熟知しており、その情報を光武帝に与えた事で金印を賜ったと考えられます。それが「倭国の極南界なり」という文言になるのではないでしょうか。

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