· 

聖徳太子はどんな人

 日本で偉人と伝わる聖徳太子はいったいどんな人だったのでしょうか。今では実在しなかったという説がありますが、厩戸皇子、豊聡耳皇子、阿毎多利思北孤等の名を持つ人物で超人的な能力を有すると伝えられてきました。私は厩戸皇子はニニギの命から続く近畿に居た人物だと思います。また豊聡耳皇子は名前から考えると豊国の王の子で、現在の福岡か大分に居た人物と考えられます。阿毎多利思北孤は遣隋使を派遣した倭国の王で九州の大宰府に居たと思います。これら三人を一人にまとめたのが聖徳太子ではないでしょうか。

 聖徳太子が本当に天皇の血筋の人物だとしたら、なぜ物部守屋との戦いの時神道を擁護せず、仏教の側に付いたのでしょうか。この事から天皇家に敵対した人物と考えられます。法隆寺の夢殿にある聖徳太子の等身大と言われる救世観音像ですが、なぜ明治になってフェノロサによって解かれるまで白い布で覆われたままになっていたのでしょうか。私はこの観音様は倭国王の阿毎多利思北孤その人だと考えています。当時の大和政権はこの阿毎多利思北孤が復活する事を恐れて、まるでミイラの様に白い布で覆ったのだと思います。

 阿毎多利思北孤の俀國(タイコク)は邪馬臺国の臺国(タイコク)と音が同じで七世紀初頭の俀國までは三世紀の邪馬臺国を引き継いでいたと思われます。しかし、白村江の戦いの後政権が移って行ったと考えられます。

 

コメント: 0